全校朝会
全校朝会
<第1回全校朝会>
5月8日(水)、「令和」時代が始まり、今年度最初の全校朝会を行いました。
元気なあいさつや、話を聴く姿勢が素晴らしかったです。
校長先生のお話は、今年、市制施行90周年を迎えた八戸市についてでした。
八戸市クイズに、子どもたちは積極的に答えました。
「校長先生、おはようございます。」4年生の児童が校長先生へのあいさつのお手本を見せてくれました。
今年、白山台小学校のテーマは「We can do it」。頑張ることは、読書とあいさつです。
心の栄養である本をたくさん読み、気持ちのいいあいさつをして、楽しい毎日を過ごしましょう。
5月8日(水)、「令和」時代が始まり、今年度最初の全校朝会を行いました。
元気なあいさつや、話を聴く姿勢が素晴らしかったです。
校長先生のお話は、今年、市制施行90周年を迎えた八戸市についてでした。
八戸市クイズに、子どもたちは積極的に答えました。
「校長先生、おはようございます。」4年生の児童が校長先生へのあいさつのお手本を見せてくれました。
今年、白山台小学校のテーマは「We can do it」。頑張ることは、読書とあいさつです。
心の栄養である本をたくさん読み、気持ちのいいあいさつをして、楽しい毎日を過ごしましょう。
全校朝会
5月9日、全校朝会を行いました。
教育実習生の佐藤萌百子先生が挨拶しました。
5月7日から6月1日までの4週間、2年2組の子どもたちと勉強します。
校長先生のお話は、白山台小学校の学区内にある丹後平古墳群の
出土品が国指定重要文化財になった話でした。
丹後平古墳群の古墳の写真
出土品195点が国の重要文化財に指定されました。
興味を持って話を聴いています。
出土品の中でも
「金装獅噛三累環頭大刀柄頭(きんそうしがみさんるいかんとうたちつかがしら)」
は朝鮮半島から伝わってきたものと言われており、国内で同じようなものは
丹後平古墳以外に発掘されていないということで貴重な物だそうです。
出土品が国指定重要文化財として国の宝になったのはもちろんですが、
丹後平古墳群そのものが日本の歴史を知る上で重要とされている国史跡です。
そんな史跡が白山台小学校の近くにあるのはとても素晴らしいことですね。
白山台はどんなところ?ときかれたら、こんなすごいものがあるんだよと教えて
あげられたらいいですね。
教育実習生の佐藤萌百子先生が挨拶しました。
5月7日から6月1日までの4週間、2年2組の子どもたちと勉強します。
校長先生のお話は、白山台小学校の学区内にある丹後平古墳群の
出土品が国指定重要文化財になった話でした。
丹後平古墳群の古墳の写真
出土品195点が国の重要文化財に指定されました。
興味を持って話を聴いています。
出土品の中でも
「金装獅噛三累環頭大刀柄頭(きんそうしがみさんるいかんとうたちつかがしら)」
は朝鮮半島から伝わってきたものと言われており、国内で同じようなものは
丹後平古墳以外に発掘されていないということで貴重な物だそうです。
出土品が国指定重要文化財として国の宝になったのはもちろんですが、
丹後平古墳群そのものが日本の歴史を知る上で重要とされている国史跡です。
そんな史跡が白山台小学校の近くにあるのはとても素晴らしいことですね。
白山台はどんなところ?ときかれたら、こんなすごいものがあるんだよと教えて
あげられたらいいですね。
全校朝会
全校朝会 防災学習
今日は、放送で全校朝会を行いました。校長先生の講話で、防災学習をしました。
今週の土曜日は、3月11日です。東日本大震災から6年が経ちました。
この大震災は、大地の揺れだけではなく、大きな津波をもたらし、多くの命が奪われました。また、原子力発電所の事故も起きて、大切な家族や友達と離れ離れになったり、思い出の詰まった家や学校を無くしたり、これまでのような生活ができなくなったりした人もたくさんいます。
地震は、いつくるか分からないから、先生や家族の人がそばにいないからかもしれません。大きな地震が来たときに、皆さんの家族の方が何日も家に帰ってこられなくなるかもしれません。そんなときのために、どんなことが大切だと思いますか。そのヒントになることが書かれている作文を紹介します。
これは、東日本大震災で被害が大きかった宮城県の「ゆりあげ」という町の女子中学生が書いた作文です。
「私のふるさと」
「何もなくなってしまったなあ。」
「ここには公園や幼稚園があったんだなあ。」
浜風が心地よく吹き、時間がゆっくりおと流れてゆくとても穏やかな街、それが私のふるさと閖上でした。
学校の帰り道では、近所の方がよく声を掛けてくださり、安心して下校することができました。母が弟を出産し、退院後家事ができなかった時にも、おかずを届けてくれたり、買い物をしてくれたりと、困った時はお互いさまと言って閖上の街の人たちは、大きな家族のようでした。
そんなふるさとも、あの大津波ですっかり姿を変えました。
あの日避難した小学校の屋上から見おろす街は、あたり一面真っ黒な水に浸り、車や家が流れクラクションを鳴らし助けを求めている人や家の屋根にしがみついている人がたくさんいました。それはとても恐ろしい光景でした。
家族のように暮らししていた街の人たちとも、離れ離れになり、私たちは避難先を転々としました。
私の親は、もっと海から離れた場所に新しく閖上の町が作られないかと考えています。
私も同じ場所に戻って暮らすことには、とても不安を感じます。あの恐怖がよみがえり、とても戻る気持ちにはなりますん。だからと言って、まったく別の場所に暮らしていくというのにも不安を感じます。
母は今、「閖上復興だより」という地域の新聞を発行しています。震災でばらばらになってしまった住民が、再び一つの街の住人として暮らす日まで、つながりをもち続けられることを目的としています。みんなその新聞を毎日心待ちにしているようです。
私は、この震災を経験して感じたことがあります。それは、帰りたいふるさとは場所だけにあるものではなく、人と人とのつながりの中にあるのではないかということです。閖上があの場を離れることは確かにつらいことですが、閖上の人たちと離れなければならないことは、もっともっとつらいことです。
ふるさとは、私たちの心の中で今でも健在です。これからも、人と人とのつながりを大切にし、ふるさとを守っていく取組を継続していきたいと思います。
どうでしたか。ふるさとの人たちとの心のつながりがどんなに大切かということがよく分かりますね。
みなさんのふるさとは白山台です。白山台に住んでいる近所の人ときちんとつながりをつくるためには、まず、普段からしっかりと挨拶をすることです。
学校が避難所になった時には、学校にたくさんの地域の人が集まってきます。皆さんも、学校に泊まらなければならないかもしれません。そんなときに、普段から近所の人とあいさつをしていると、スムーズにいろいろなお話ができますね。
自分の命を守るのは自分ですが、周りの人と助けあうことが必要なこともたくさんあります。ふるさと白山台の一員としての生活を、普段から心がけておきましょう。
さて、このような震災で学校の給食が作れなくなったときのために、八戸市では非常用のカレーを準備して下さっています。金曜日は、そのカレーを食べる練習もあります。
また、それぞれの学級や学年で避難の仕方についての確認もあると思います。訓練ではありますが、真剣に、しっかりと行いましょう。
今週の土曜日は、3月11日です。東日本大震災から6年が経ちました。
この大震災は、大地の揺れだけではなく、大きな津波をもたらし、多くの命が奪われました。また、原子力発電所の事故も起きて、大切な家族や友達と離れ離れになったり、思い出の詰まった家や学校を無くしたり、これまでのような生活ができなくなったりした人もたくさんいます。
地震は、いつくるか分からないから、先生や家族の人がそばにいないからかもしれません。大きな地震が来たときに、皆さんの家族の方が何日も家に帰ってこられなくなるかもしれません。そんなときのために、どんなことが大切だと思いますか。そのヒントになることが書かれている作文を紹介します。
これは、東日本大震災で被害が大きかった宮城県の「ゆりあげ」という町の女子中学生が書いた作文です。
「私のふるさと」
「何もなくなってしまったなあ。」
「ここには公園や幼稚園があったんだなあ。」
浜風が心地よく吹き、時間がゆっくりおと流れてゆくとても穏やかな街、それが私のふるさと閖上でした。
学校の帰り道では、近所の方がよく声を掛けてくださり、安心して下校することができました。母が弟を出産し、退院後家事ができなかった時にも、おかずを届けてくれたり、買い物をしてくれたりと、困った時はお互いさまと言って閖上の街の人たちは、大きな家族のようでした。
そんなふるさとも、あの大津波ですっかり姿を変えました。
あの日避難した小学校の屋上から見おろす街は、あたり一面真っ黒な水に浸り、車や家が流れクラクションを鳴らし助けを求めている人や家の屋根にしがみついている人がたくさんいました。それはとても恐ろしい光景でした。
家族のように暮らししていた街の人たちとも、離れ離れになり、私たちは避難先を転々としました。
私の親は、もっと海から離れた場所に新しく閖上の町が作られないかと考えています。
私も同じ場所に戻って暮らすことには、とても不安を感じます。あの恐怖がよみがえり、とても戻る気持ちにはなりますん。だからと言って、まったく別の場所に暮らしていくというのにも不安を感じます。
母は今、「閖上復興だより」という地域の新聞を発行しています。震災でばらばらになってしまった住民が、再び一つの街の住人として暮らす日まで、つながりをもち続けられることを目的としています。みんなその新聞を毎日心待ちにしているようです。
私は、この震災を経験して感じたことがあります。それは、帰りたいふるさとは場所だけにあるものではなく、人と人とのつながりの中にあるのではないかということです。閖上があの場を離れることは確かにつらいことですが、閖上の人たちと離れなければならないことは、もっともっとつらいことです。
ふるさとは、私たちの心の中で今でも健在です。これからも、人と人とのつながりを大切にし、ふるさとを守っていく取組を継続していきたいと思います。
どうでしたか。ふるさとの人たちとの心のつながりがどんなに大切かということがよく分かりますね。
みなさんのふるさとは白山台です。白山台に住んでいる近所の人ときちんとつながりをつくるためには、まず、普段からしっかりと挨拶をすることです。
学校が避難所になった時には、学校にたくさんの地域の人が集まってきます。皆さんも、学校に泊まらなければならないかもしれません。そんなときに、普段から近所の人とあいさつをしていると、スムーズにいろいろなお話ができますね。
自分の命を守るのは自分ですが、周りの人と助けあうことが必要なこともたくさんあります。ふるさと白山台の一員としての生活を、普段から心がけておきましょう。
さて、このような震災で学校の給食が作れなくなったときのために、八戸市では非常用のカレーを準備して下さっています。金曜日は、そのカレーを食べる練習もあります。
また、それぞれの学級や学年で避難の仕方についての確認もあると思います。訓練ではありますが、真剣に、しっかりと行いましょう。
全校朝会
全校朝会で、校長先生のお話を聞きました。
節句は、3月3日のように、月と日が同じ数字の日が多いのです。5月5日は、端午(たんご)の節句といいます。7月7日はしちせき(七夕)の節句といいます。9月9日は、重陽(ちょうよう)の節句といいます。3月3日も、上巳(じょうし)の節句ということもあります。5月5日も菖蒲の節句、9月9日は菊の節句とも言います。
さて、3月3日、桃の節句ですが、なぜ、桃なのでしょう。それは、昔の3月3日は、今の4月3日頃のようです。ちょうど、そのころ、桃の花が咲くのだそうです。それで、桃の節句というそうです。また、桃は、昔から悪いものを追い払う縁起の良い植物とされていたようです。それで、桃太郎も、鬼退治をするお話の名前になったようです。また、ひな祭りは、今は女の子のお祭りになっていますが、昔は、男の子も女の子も関係なく、自分に悪いものがつかないように追い払う儀式だったようです。自分の代わりに人形を作って、それを川に流したり、かざったりすることで悪いものが来ないようにお祈りするということが始まりのようです。
学校でも、PTAの方々がひな人形を飾ってくださいました。ですから、ひな人形を飾っているところでは静かにして、心の中で悪いことが起こりませんようにとお祈りするといいのではないかと思います。そうやって、お雛様を大切にしていますということが人形に伝わると、じっとがんばっている人形たちも、みなさんのことをしっかり守ってあげようと思うのではないでしょうか。皆さんに悪いことが起こらないことを祈っています。
3Aサポータの皆さんに感謝する会
全校朝会
全校朝会では、「廊下歩行について」生活委員会から発表がありました。
廊下を走っていた数は、2年生が一番少なかったです。
生徒指導主任から、全校みんなで気を付けて歩きましょうと指導しました。
校長先生は、廊下歩行についてお話を加えた後、
八戸市の取り組みについてお話がありました。
廊下を走っていた数は、2年生が一番少なかったです。
生徒指導主任から、全校みんなで気を付けて歩きましょうと指導しました。
校長先生は、廊下歩行についてお話を加えた後、
八戸市の取り組みについてお話がありました。
全校朝会
今日は、全校朝会で、校長先生の雨についてのお話を聞きました。
「ばいう」、「つゆ」と読みます。
「五月雨」と書いて「さみだれ」と読みます。
「ばいう」、「つゆ」と読みます。
「日本では、1年間に何日に1回ぐらい雨が降っているでしょう?」
「3日に1回です。」
「3日に1回です。」
「五月雨」と書いて「さみだれ」と読みます。
7月6日の雨は、次の日の七夕に彦星が織姫に会うために乗っていく牛車を洗うからだと
いわれることから、「洗車雨(せんしゃう)」ということがあるそうです。
いわれることから、「洗車雨(せんしゃう)」ということがあるそうです。
「雨が降った後、地面が固まるように、けんかなどをした後、しっかり結束することを言います。」
校長先生のお話の後、6年生の代表の児童が修学旅行の日程や5年生以下に「留守の間お願いします。」
というお話をし、6年生全員で「行ってまいります。」とあいさつをしました。
校長先生のお話の後、6年生の代表の児童が修学旅行の日程や5年生以下に「留守の間お願いします。」
というお話をし、6年生全員で「行ってまいります。」とあいさつをしました。
全校朝会(防災学習)
<ねらい>
・東日本大震災の体験を風化させることなく、児童の防災意識の高揚を図る。
・東日本大震災の教訓を受け継ぎ災害に対して「自分の命は自分で守る」という態度を育成する。
今朝は、全校朝会を放送で、校長先生のお話を聞きました。
今日は3月11日です。5年前のこの日に東日本大震災が起こりました。たくさんの人が犠牲になりました。およそ二万人です。その犠牲になった方々のために、黙とうをしたいと思います。
この放送朝会の後、防災ノートで学習をしたり、避難経路を確認しました。
・東日本大震災の体験を風化させることなく、児童の防災意識の高揚を図る。
・東日本大震災の教訓を受け継ぎ災害に対して「自分の命は自分で守る」という態度を育成する。
今朝は、全校朝会を放送で、校長先生のお話を聞きました。
今日は3月11日です。5年前のこの日に東日本大震災が起こりました。たくさんの人が犠牲になりました。およそ二万人です。その犠牲になった方々のために、黙とうをしたいと思います。
全校のみんなで、黙とうしました。
東日本大震災は、6年生が1年生の最後のときでしたね。この大震災は、大地の揺れだけではなく、大きな津波をもたらし、原子力発電所の事故も起きて、大切な家族や友達を失ったり、離ればなれになった人、思い出の詰まった家や学校を無くしたり、生活できなくなったり、仕事が出来なくなったりした人もたくさん居ます。
中でも一番被害者が多かったのは宮城県です。今日は、宮城県の子どもの作文を紹介します。
(PDFファイル)
八戸市では、この日に学んだことをしっかりと次に生かしていけるようにしましょうと防災教育の日としています。おうちでも、家族の皆さんと防災ノートを使って、家庭でのルールなどを話し合っておくといいですね。また、八戸市ではこのような災害等で学校の給食が作れなくなったときのために、非常用のカレーを準備してくださっています。今日は、そのカレーを食べる練習もあります。
学校が避難所になる場合もあります。そうなれば、学校にたくさんの人が集まってきます。車いすの方や小さい赤ちゃんが来るかも知れません。そうなったら、皆さんに、「体育館はこちらです。」とか、「トイレをご案内します。」などとお願いすることになります。普段から言葉遣いや礼儀など、しっかりと身につけておく事も大切ですね。この作文のように、当たり前にできることに感謝して、助け合うことを普段からできるように心がけていきましょう。
お話を終わります。
中でも一番被害者が多かったのは宮城県です。今日は、宮城県の子どもの作文を紹介します。
(PDFファイル)
八戸市では、この日に学んだことをしっかりと次に生かしていけるようにしましょうと防災教育の日としています。おうちでも、家族の皆さんと防災ノートを使って、家庭でのルールなどを話し合っておくといいですね。また、八戸市ではこのような災害等で学校の給食が作れなくなったときのために、非常用のカレーを準備してくださっています。今日は、そのカレーを食べる練習もあります。
学校が避難所になる場合もあります。そうなれば、学校にたくさんの人が集まってきます。車いすの方や小さい赤ちゃんが来るかも知れません。そうなったら、皆さんに、「体育館はこちらです。」とか、「トイレをご案内します。」などとお願いすることになります。普段から言葉遣いや礼儀など、しっかりと身につけておく事も大切ですね。この作文のように、当たり前にできることに感謝して、助け合うことを普段からできるように心がけていきましょう。
お話を終わります。
この放送朝会の後、防災ノートで学習をしたり、避難経路を確認しました。