1年生 交通安全教室
校長先生のお話の後、白山台駐在所の所長さん、交通安全協会白山台支部の
皆さん、PTA交通安全委員会の皆さんに、交通ルールと安全な歩行の仕方を
教えていただきました。
体育館での交通安全教室が終わった後、外に出て、指導の先生方や保護者の
方々と一緒に道路を歩いて安全な横断の仕方などを勉強しました。
皆さん、PTA交通安全委員会の皆さんに、交通ルールと安全な歩行の仕方を
教えていただきました。
体育館での交通安全教室が終わった後、外に出て、指導の先生方や保護者の
方々と一緒に道路を歩いて安全な横断の仕方などを勉強しました。
2017/04/10 15:30 |
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入学式
4月7日、入学式を行いました。
新入生71名の入場です。
真剣に話を聞く新入生
学級担任の紹介
PTA会長さんの祝辞
教科書の贈呈
安全帽、防犯笛の贈呈
新入生を迎える言葉
新入生代表の言葉
新入生71名の入場です。
真剣に話を聞く新入生
学級担任の紹介
PTA会長さんの祝辞
教科書の贈呈
安全帽、防犯笛の贈呈
新入生を迎える言葉
新入生代表の言葉
2017/04/07 15:40 |
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新任式
4月6日、新任式を行いました。7名の新任職員があいさつをしました。
特技を披露した先生もいました。
6年生の代表児童が、歓迎の言葉を述べました。
次に、学級担任の発表をしました。
特技を披露した先生もいました。
6年生の代表児童が、歓迎の言葉を述べました。
次に、学級担任の発表をしました。
2017/04/06 16:00 |
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年度末の御挨拶
3月17日(金)に161名の卒業生を送り出しました。当日の卒業生の態度や歌が大変すばらしく、多くの御来賓の方々からお褒めの言葉をいただきました。中学校に行っても、さらなる飛躍を期待しております。学校は、本日の修了式をもって、創立21年目、平成28年度の教育活動をすべて終えることができました。
4月から西白山台小学校が開校します。卒業生の保護者の皆様、そして西白山台小学校の保護者の皆様、これまで本当にありがとうございました。それぞれの学校でのご活躍を心からお祈りしております。また、同じ白山台地区ですので、白山台小学校をこれからもよろしくお願いします。白山台小学校の保護者の皆様は、今年度同様に、来年度もよろしくお願いいたします。
転任職員一覧 PDFファイル(クリックしてください)
4月当初の予定など PDEファイル(クリックしてください)
4月から西白山台小学校が開校します。卒業生の保護者の皆様、そして西白山台小学校の保護者の皆様、これまで本当にありがとうございました。それぞれの学校でのご活躍を心からお祈りしております。また、同じ白山台地区ですので、白山台小学校をこれからもよろしくお願いします。白山台小学校の保護者の皆様は、今年度同様に、来年度もよろしくお願いいたします。
転任職員一覧 PDFファイル(クリックしてください)
4月当初の予定など PDEファイル(クリックしてください)
西白山台小学校通学路に信号機設置
卒業証書授与式に向けて
お礼の手紙(6年生)
全校朝会 防災学習
今日は、放送で全校朝会を行いました。校長先生の講話で、防災学習をしました。
今週の土曜日は、3月11日です。東日本大震災から6年が経ちました。
この大震災は、大地の揺れだけではなく、大きな津波をもたらし、多くの命が奪われました。また、原子力発電所の事故も起きて、大切な家族や友達と離れ離れになったり、思い出の詰まった家や学校を無くしたり、これまでのような生活ができなくなったりした人もたくさんいます。
地震は、いつくるか分からないから、先生や家族の人がそばにいないからかもしれません。大きな地震が来たときに、皆さんの家族の方が何日も家に帰ってこられなくなるかもしれません。そんなときのために、どんなことが大切だと思いますか。そのヒントになることが書かれている作文を紹介します。
これは、東日本大震災で被害が大きかった宮城県の「ゆりあげ」という町の女子中学生が書いた作文です。
「私のふるさと」
「何もなくなってしまったなあ。」
「ここには公園や幼稚園があったんだなあ。」
浜風が心地よく吹き、時間がゆっくりおと流れてゆくとても穏やかな街、それが私のふるさと閖上でした。
学校の帰り道では、近所の方がよく声を掛けてくださり、安心して下校することができました。母が弟を出産し、退院後家事ができなかった時にも、おかずを届けてくれたり、買い物をしてくれたりと、困った時はお互いさまと言って閖上の街の人たちは、大きな家族のようでした。
そんなふるさとも、あの大津波ですっかり姿を変えました。
あの日避難した小学校の屋上から見おろす街は、あたり一面真っ黒な水に浸り、車や家が流れクラクションを鳴らし助けを求めている人や家の屋根にしがみついている人がたくさんいました。それはとても恐ろしい光景でした。
家族のように暮らししていた街の人たちとも、離れ離れになり、私たちは避難先を転々としました。
私の親は、もっと海から離れた場所に新しく閖上の町が作られないかと考えています。
私も同じ場所に戻って暮らすことには、とても不安を感じます。あの恐怖がよみがえり、とても戻る気持ちにはなりますん。だからと言って、まったく別の場所に暮らしていくというのにも不安を感じます。
母は今、「閖上復興だより」という地域の新聞を発行しています。震災でばらばらになってしまった住民が、再び一つの街の住人として暮らす日まで、つながりをもち続けられることを目的としています。みんなその新聞を毎日心待ちにしているようです。
私は、この震災を経験して感じたことがあります。それは、帰りたいふるさとは場所だけにあるものではなく、人と人とのつながりの中にあるのではないかということです。閖上があの場を離れることは確かにつらいことですが、閖上の人たちと離れなければならないことは、もっともっとつらいことです。
ふるさとは、私たちの心の中で今でも健在です。これからも、人と人とのつながりを大切にし、ふるさとを守っていく取組を継続していきたいと思います。
どうでしたか。ふるさとの人たちとの心のつながりがどんなに大切かということがよく分かりますね。
みなさんのふるさとは白山台です。白山台に住んでいる近所の人ときちんとつながりをつくるためには、まず、普段からしっかりと挨拶をすることです。
学校が避難所になった時には、学校にたくさんの地域の人が集まってきます。皆さんも、学校に泊まらなければならないかもしれません。そんなときに、普段から近所の人とあいさつをしていると、スムーズにいろいろなお話ができますね。
自分の命を守るのは自分ですが、周りの人と助けあうことが必要なこともたくさんあります。ふるさと白山台の一員としての生活を、普段から心がけておきましょう。
さて、このような震災で学校の給食が作れなくなったときのために、八戸市では非常用のカレーを準備して下さっています。金曜日は、そのカレーを食べる練習もあります。
また、それぞれの学級や学年で避難の仕方についての確認もあると思います。訓練ではありますが、真剣に、しっかりと行いましょう。
今週の土曜日は、3月11日です。東日本大震災から6年が経ちました。
この大震災は、大地の揺れだけではなく、大きな津波をもたらし、多くの命が奪われました。また、原子力発電所の事故も起きて、大切な家族や友達と離れ離れになったり、思い出の詰まった家や学校を無くしたり、これまでのような生活ができなくなったりした人もたくさんいます。
地震は、いつくるか分からないから、先生や家族の人がそばにいないからかもしれません。大きな地震が来たときに、皆さんの家族の方が何日も家に帰ってこられなくなるかもしれません。そんなときのために、どんなことが大切だと思いますか。そのヒントになることが書かれている作文を紹介します。
これは、東日本大震災で被害が大きかった宮城県の「ゆりあげ」という町の女子中学生が書いた作文です。
「私のふるさと」
「何もなくなってしまったなあ。」
「ここには公園や幼稚園があったんだなあ。」
浜風が心地よく吹き、時間がゆっくりおと流れてゆくとても穏やかな街、それが私のふるさと閖上でした。
学校の帰り道では、近所の方がよく声を掛けてくださり、安心して下校することができました。母が弟を出産し、退院後家事ができなかった時にも、おかずを届けてくれたり、買い物をしてくれたりと、困った時はお互いさまと言って閖上の街の人たちは、大きな家族のようでした。
そんなふるさとも、あの大津波ですっかり姿を変えました。
あの日避難した小学校の屋上から見おろす街は、あたり一面真っ黒な水に浸り、車や家が流れクラクションを鳴らし助けを求めている人や家の屋根にしがみついている人がたくさんいました。それはとても恐ろしい光景でした。
家族のように暮らししていた街の人たちとも、離れ離れになり、私たちは避難先を転々としました。
私の親は、もっと海から離れた場所に新しく閖上の町が作られないかと考えています。
私も同じ場所に戻って暮らすことには、とても不安を感じます。あの恐怖がよみがえり、とても戻る気持ちにはなりますん。だからと言って、まったく別の場所に暮らしていくというのにも不安を感じます。
母は今、「閖上復興だより」という地域の新聞を発行しています。震災でばらばらになってしまった住民が、再び一つの街の住人として暮らす日まで、つながりをもち続けられることを目的としています。みんなその新聞を毎日心待ちにしているようです。
私は、この震災を経験して感じたことがあります。それは、帰りたいふるさとは場所だけにあるものではなく、人と人とのつながりの中にあるのではないかということです。閖上があの場を離れることは確かにつらいことですが、閖上の人たちと離れなければならないことは、もっともっとつらいことです。
ふるさとは、私たちの心の中で今でも健在です。これからも、人と人とのつながりを大切にし、ふるさとを守っていく取組を継続していきたいと思います。
どうでしたか。ふるさとの人たちとの心のつながりがどんなに大切かということがよく分かりますね。
みなさんのふるさとは白山台です。白山台に住んでいる近所の人ときちんとつながりをつくるためには、まず、普段からしっかりと挨拶をすることです。
学校が避難所になった時には、学校にたくさんの地域の人が集まってきます。皆さんも、学校に泊まらなければならないかもしれません。そんなときに、普段から近所の人とあいさつをしていると、スムーズにいろいろなお話ができますね。
自分の命を守るのは自分ですが、周りの人と助けあうことが必要なこともたくさんあります。ふるさと白山台の一員としての生活を、普段から心がけておきましょう。
さて、このような震災で学校の給食が作れなくなったときのために、八戸市では非常用のカレーを準備して下さっています。金曜日は、そのカレーを食べる練習もあります。
また、それぞれの学級や学年で避難の仕方についての確認もあると思います。訓練ではありますが、真剣に、しっかりと行いましょう。
6年生を送る会
全校朝会
全校朝会で、校長先生のお話を聞きました。
節句は、3月3日のように、月と日が同じ数字の日が多いのです。5月5日は、端午(たんご)の節句といいます。7月7日はしちせき(七夕)の節句といいます。9月9日は、重陽(ちょうよう)の節句といいます。3月3日も、上巳(じょうし)の節句ということもあります。5月5日も菖蒲の節句、9月9日は菊の節句とも言います。
さて、3月3日、桃の節句ですが、なぜ、桃なのでしょう。それは、昔の3月3日は、今の4月3日頃のようです。ちょうど、そのころ、桃の花が咲くのだそうです。それで、桃の節句というそうです。また、桃は、昔から悪いものを追い払う縁起の良い植物とされていたようです。それで、桃太郎も、鬼退治をするお話の名前になったようです。また、ひな祭りは、今は女の子のお祭りになっていますが、昔は、男の子も女の子も関係なく、自分に悪いものがつかないように追い払う儀式だったようです。自分の代わりに人形を作って、それを川に流したり、かざったりすることで悪いものが来ないようにお祈りするということが始まりのようです。
学校でも、PTAの方々がひな人形を飾ってくださいました。ですから、ひな人形を飾っているところでは静かにして、心の中で悪いことが起こりませんようにとお祈りするといいのではないかと思います。そうやって、お雛様を大切にしていますということが人形に伝わると、じっとがんばっている人形たちも、みなさんのことをしっかり守ってあげようと思うのではないでしょうか。皆さんに悪いことが起こらないことを祈っています。