2015年12月の記事
音楽朝会(発表)
よみきかせをしていただきました。
全校朝会
今朝は、放送で全校朝会を行いました。校長先生のお話を紹介します。
みなさんは、人権という言葉を知っていますか。少し難しい言葉ですが、人間の持っている権利のことで、人間なら誰でもできることを言います。たとえば、食べるとか寝るとか見るとか聞くとか、自分の意見を言うとか、勉強するとか、公園で遊ぶとか、みんなができることです。その人権のことを、世界中のみんなでしっかり考えましょうという日が来週の木曜日12月10日です。世界人権デーといいます。そして、日本では、その日までの1週間、つまりあさっての12月4日から12月10日までを人権週間としています。毎年人権週間に合わせて、中学生による人権作文コンクールが開かれています。
今日は、そのコンクールで入賞した作文の中から一つを紹介します。これは、去年のコンクールの最高賞、内閣総理大臣賞を受賞した作文です。中学校1年生の作文ですが、内容は1年前の小学校6年生の時に経験したことを書いたものです。少し、難しい言葉があるかもしれませんが、できるだけ分かりやすい言葉に直したり、少し短くしたりしていますから、聞いてください。
今日は、そのコンクールで入賞した作文の中から一つを紹介します。これは、去年のコンクールの最高賞、内閣総理大臣賞を受賞した作文です。中学校1年生の作文ですが、内容は1年前の小学校6年生の時に経験したことを書いたものです。少し、難しい言葉があるかもしれませんが、できるだけ分かりやすい言葉に直したり、少し短くしたりしていますから、聞いてください。
(以下、内閣総理大臣賞を受賞した佐賀県の中学生の作文です。下記の内容は、一部書き直したものです。)
私が小学生のころ、まちがって友達のA君にけがをさせたことがありました。遊び中の事故で、決してわざとではなかったのですが、目のすぐ横を傷つけてしまいました。連絡を受けた母は、すぐに友達の家族に電話であやまり、病院に私と一緒に駆け付けました。寒い廊下で、診療が終わるまで、立ったまま待っていたところ、母が静かに私を見て、
「もし、A君の目が見えなくなったら、あなたはこれから自分のために生きるのではなく、一生A君の目になって生きていきなさい。」
と、とめどなく流れる涙とともに言いました。私は、「わざとじゃないのに。まさかこんな大げさなことになるなんて。」と、頭が真っ白になりました。診察室から出てきた友達と彼のお母さんに、母は、
「A君は、大好きなテニスもあきらめなきゃなるかもしれません。それどころか、普通の生活もできなくなるかもしれません。御両親が今までどれだけの苦労をして育ててこられたことか。将来をどれだけ楽しみにいらしたか。できる限りの償いをさせてください。」
と、これでもかというほど深く頭を下げ、あやまりました。私と友達が仲が良いこととで、母親同士も仲良く付き合っていたので、まさか母がこんなにていねいな言葉であやまるなんて思いもよりませんでした。友達のお母さんは、母に寄り添って言いました。
「幸い眼球は、傷つかなかったの。傷あとは残るかもしれないけれど、わざとじゃないんだから。洵太君もそんなに泣かないで。」
と、私の肩もなでてくれました。余計に涙が出てきました。友達の左目にはガーゼが当てられ、だまっていました。とても気まずくて、私は、「本当にごめんなさい。」というのが精いっぱいでした。
その夜、母は帰宅した父の隣に私を座らせて、この出来事を説明しました。
「お母さんが言いたいことは、誰かの権利を侵してまで、あなたの権利が優先されることは絶対にないってことなのよ。今回はわざとじゃなかった。でも注意をしなかったのは事実。もし、A君の目が見えなくなったら、あなたは必死で働いて、A君が本来ならば持っていた”見る”という権利を復活させるためにお金と時間を遣いなさい。あなたが学生のうちは、お父さんとお母さんが代わる。家族みんなでいろんなことを犠牲にして生きていかないといけない。それが償いなのよ。」
母の言葉に、私は頷くしかなかった。次の日は、学校で友達と顔を合わせるのが怖かった。許してもらえるのか、いや、そもそも許してもらおうなんて思ってはいけないんじゃないかと思いました。そんな私に、彼は、「おはよう。昨日はごめんな。」と話しかけてくれました。その時の気持ちは、今でも言葉にできない。胸につかえていた巨大な黒い何かが、ゴロッと落ちてくれた感じでした。きっと、彼は、私が遠慮しているのを助けてくれたのでしょう。何事もなかったようにとはいかなかったけれど自然に接することができたのも、その一瞬のA君の気づかいのおかげだと思いました。
週末、ずいぶん傷が回復したという連絡を聞いて、私と両親は改めて友達の家にあやまりに行くことにしました。サッカーの練習の後だったので、ユニフォームのまま行こうとした私を、父が「着替えろ。」と制しました。「お前がさせた怪我のせいでテニスを休んでいるA君の気持ちを考えろ。」いつもは優しい父が厳しい口調で言いました。私は、すぐにユニフォームを脱ぎました。
その後、友達のけがは治り、傷あともほとんど残りませんでした。私の部屋には卒業式に彼と肩を組んで写った写真が飾ってあります。もちろん大切な友達だからという理由ですが、あの事故を忘れないようにするという意味もあります。あの事故は、他人の人権を侵すことの悪と、たとえ間違いであっても、自分だけでなく、家族や周囲まで巻き込んでしまう恐ろしさを教えてくれました。
私が小学生のころ、まちがって友達のA君にけがをさせたことがありました。遊び中の事故で、決してわざとではなかったのですが、目のすぐ横を傷つけてしまいました。連絡を受けた母は、すぐに友達の家族に電話であやまり、病院に私と一緒に駆け付けました。寒い廊下で、診療が終わるまで、立ったまま待っていたところ、母が静かに私を見て、
「もし、A君の目が見えなくなったら、あなたはこれから自分のために生きるのではなく、一生A君の目になって生きていきなさい。」
と、とめどなく流れる涙とともに言いました。私は、「わざとじゃないのに。まさかこんな大げさなことになるなんて。」と、頭が真っ白になりました。診察室から出てきた友達と彼のお母さんに、母は、
「A君は、大好きなテニスもあきらめなきゃなるかもしれません。それどころか、普通の生活もできなくなるかもしれません。御両親が今までどれだけの苦労をして育ててこられたことか。将来をどれだけ楽しみにいらしたか。できる限りの償いをさせてください。」
と、これでもかというほど深く頭を下げ、あやまりました。私と友達が仲が良いこととで、母親同士も仲良く付き合っていたので、まさか母がこんなにていねいな言葉であやまるなんて思いもよりませんでした。友達のお母さんは、母に寄り添って言いました。
「幸い眼球は、傷つかなかったの。傷あとは残るかもしれないけれど、わざとじゃないんだから。洵太君もそんなに泣かないで。」
と、私の肩もなでてくれました。余計に涙が出てきました。友達の左目にはガーゼが当てられ、だまっていました。とても気まずくて、私は、「本当にごめんなさい。」というのが精いっぱいでした。
その夜、母は帰宅した父の隣に私を座らせて、この出来事を説明しました。
「お母さんが言いたいことは、誰かの権利を侵してまで、あなたの権利が優先されることは絶対にないってことなのよ。今回はわざとじゃなかった。でも注意をしなかったのは事実。もし、A君の目が見えなくなったら、あなたは必死で働いて、A君が本来ならば持っていた”見る”という権利を復活させるためにお金と時間を遣いなさい。あなたが学生のうちは、お父さんとお母さんが代わる。家族みんなでいろんなことを犠牲にして生きていかないといけない。それが償いなのよ。」
母の言葉に、私は頷くしかなかった。次の日は、学校で友達と顔を合わせるのが怖かった。許してもらえるのか、いや、そもそも許してもらおうなんて思ってはいけないんじゃないかと思いました。そんな私に、彼は、「おはよう。昨日はごめんな。」と話しかけてくれました。その時の気持ちは、今でも言葉にできない。胸につかえていた巨大な黒い何かが、ゴロッと落ちてくれた感じでした。きっと、彼は、私が遠慮しているのを助けてくれたのでしょう。何事もなかったようにとはいかなかったけれど自然に接することができたのも、その一瞬のA君の気づかいのおかげだと思いました。
週末、ずいぶん傷が回復したという連絡を聞いて、私と両親は改めて友達の家にあやまりに行くことにしました。サッカーの練習の後だったので、ユニフォームのまま行こうとした私を、父が「着替えろ。」と制しました。「お前がさせた怪我のせいでテニスを休んでいるA君の気持ちを考えろ。」いつもは優しい父が厳しい口調で言いました。私は、すぐにユニフォームを脱ぎました。
その後、友達のけがは治り、傷あともほとんど残りませんでした。私の部屋には卒業式に彼と肩を組んで写った写真が飾ってあります。もちろん大切な友達だからという理由ですが、あの事故を忘れないようにするという意味もあります。あの事故は、他人の人権を侵すことの悪と、たとえ間違いであっても、自分だけでなく、家族や周囲まで巻き込んでしまう恐ろしさを教えてくれました。
どうでしたか。わざとじゃないのだけれど、けがをさせてしまって、何回もあやまったりして、とても大変な思いをしましたね。あとちょっとぶつかるところがずれていたら、一生目が見えなくなっていたかもしれません。そうすると、友達も友達の家族も、大変な思いをしたはずです。そして自分の家族も、償いをするために、もっともっと大変な思いをしますね。わざとじゃなくても、これほど大変な思いをするのですから、もしわざとけがをさせていたら、いくら償いをしても許してもらえないかもしれない、想像もできないぐらい大変なことになってしまいます。みなさんには、そういう思いをしてほしくありません。皆さんの家族の人たちにも、そんな悲しい思いをさせたくありません。今年学習したKYTで、大きな事故にならないようにしてほしいと思います。また、体の傷だけではなく、心の傷も同じことです。いじめたり、悪口を言ったりして、友達が楽しく勉強したり、遊んだりできなくさせてしまうことも、人権を奪うことになります。心の傷も、家族や周りの人まで悲しい思いをさせてしまうことになります。皆さんは、優しくて友達のことを思いやることができるはずです。これからも、友達のことをよく考えてお話をしたり行動したりできる白山台の子どもであってほしいと思います。
今日は、人権についてのお話でした。お話を終わります。
今日は、人権についてのお話でした。お話を終わります。