鯨にまつわる貴重な品物・・・児童会室に保管
南郷から捕鯨の仕事に行ったのは戦後の1946年からで、2名の若者が捕鯨船に乗りました。その二人の働きがとてもよかったのっで、捕鯨の会社は南郷から働き手をたくさん集めるようになったそうです。最盛期には、800名以上も携わったそうす。農閑期の10月~3月まで従事し、かなりのお給料をいただけたそうです。
1970年代、200海里問題がクローズアップされる頃から徐々に従事する人が減り、1987年頃には撤退することになったようです。(元捕鯨船員:Mさんのお話から)
カッコーの森駐車場脇に捕鯨のキャッチャーボートの大砲のモニュメントがあります。現在では、門司と南郷の2カ所しかない貴重なものだそうです。
学校には、鯨の歯やひれ、捕鯨船の模型、捕鯨の様子を撮った写真等があります。ペンギンの剥製まであります。二宮金次郎像も捕鯨に従事した人たちが、学校の子どもたちが健やかに成長することを願ってのことです。大切なことは、昔の人たちの思いを知り、語りついで行くことです。児童会室の展示ケース内の品物は貴重なのです。
1970年代、200海里問題がクローズアップされる頃から徐々に従事する人が減り、1987年頃には撤退することになったようです。(元捕鯨船員:Mさんのお話から)
カッコーの森駐車場脇に捕鯨のキャッチャーボートの大砲のモニュメントがあります。現在では、門司と南郷の2カ所しかない貴重なものだそうです。
学校には、鯨の歯やひれ、捕鯨船の模型、捕鯨の様子を撮った写真等があります。ペンギンの剥製まであります。二宮金次郎像も捕鯨に従事した人たちが、学校の子どもたちが健やかに成長することを願ってのことです。大切なことは、昔の人たちの思いを知り、語りついで行くことです。児童会室の展示ケース内の品物は貴重なのです。