文化祭2日目
いよいよ文化祭も2日目を迎えました。
最終日は3学年のステージがメインになります。
初めに演劇を、次に学年合唱を披露します。
生徒会活動や部活動、学校行事をリードしてきた
3年生の集大成の場が、今日でした。
演劇『グッド・バイ・マイ…』
3年生の渾身の演劇のステージの幕が開きました。
我々オジサン世代にとっては、「グッバイマイ…」
ときたら、頭の中にはアン・ルイスの歌が流れます。
あれはあれで切ない歌ではあるのですが、こちらは、
かなり重いテーマです。「命」「運命」「選択」…。
生まれる前の世界が舞台となっているのですが、
すっかり、劇中の世界観の中に引き込まれました。
演出がとてもよかったですね。セリフがアレンジされ、
2021年10月17日、八戸市小中野に設定されています。
単純劇ではなく、ちょっとミュージカル風に演出され、
ラインダンサーズが、要所要所でラインダンス風に、
ときには、ストリート風に場面や内容に合わせて
場を和ませてくれたり、リアリティーを煽ったり、
白の使者と黒の使者がいるように、夏服と冬服で、
さりげなく世界観を創出したり、あえて私服だったり、
工夫を凝らしたダンスで、ストーリーを盛り上げます。
アイデアの多くは生徒だったそうです。すごい…。
そして、これがその舞台の様子です。
感動的でした。クォリティーの高さだけでなく、
主要なキャストの演技力はもちろん。脇の役の人も、
ダンサーズたちも、ナレーター、音響効果音、照明、
舞台道具、背景、衣装……、3年生全員が関わって、
みんなで作り上げた、みんなの思いがこもった演劇
だったからこそ感動は倍にもなったのだと思います。
本当に素晴らしかった…。
3学年合唱
演劇の勢いと余韻を残しての3年生の学年合唱です。
気持ちが入らないわけありませんね。これは歌う側、
ばかりではなく、聴くこちら側にとってもそうです。
なんというのでしょう。子供たちの思いがひとつに
まとまっている感が強くて、合唱コンクールで聞く
歌とはまた、まったく次元の違った空気感があって、
文化祭をやり遂げた充実感と、3年間の思いが凝縮
されて、最高学年として後輩たちへ形のないものを
残そうとする責任感や使命感のようなものを、強く
感じます。だから、かっこよかった…。
1曲目は「そよぐ風の中で」
2曲目は「あなたへ」
「愛と涙 あなたの手の温もり 人生という
迷路の果て 信じあえることの喜びと
悲しみを知った分 強くなれる … 」
体育館にこだまする歌声が、言葉が胸を打ちます。
青春の意味を 生きることの意味を、子供たちは、
歌の中にある通り、きっと、
この文化祭で、精一杯に人生を歩き続ける中で…、
「そして 知るでしょう…」
閉祭セレモニー
文化祭メイキングムービーが流れます。
文化祭週間の歩みを振り返りながら、
あらためて、この文化祭は全員の力で作り上げて
来たのだという思いを強くします。
自分の知らないところで頑張っている仲間がいた。
その思いが、チーム小中野をより強い集団へと、
成長させてくれます。一人一人の心の根っこを、
耕してくれます。肥料や空気や水、光となって。
みんなの視線がスクリーンに釘付けになっています。
メイキングムービーの後半の、係ごとの集合写真に、
胸を打たれました。そしてテーマソングが流れます。
スクリーンには、スライドと共に歌詞が映し出され、
全校生徒が一つになって、ドリカムの「何度でも」
を熱唱しました。でも歌う回数は「1回だけ」です。
さすがに、「何度でも」という訳にはいきません。
コロナ禍ですから…。
最後に、新生徒会役員から旧メンバーへ感謝が、
そして、旧生徒会役員から新メンバーへ引継が、
ステージ上でなされました。
「後期」メンバーへ「校旗」を手渡すという、
おやじチックなセレモニーに、ひとりニヤッと
させられました。取り外せるようになっていた
あの校旗の仕掛けの意味と、緑の手から赤の手
に貼り付け直された段取りの意味に気付いた時
なるほどと腑に落ち、わたしの「好奇」心も、
見事に満たされました。1年後は青の番だぞ!
というメッセージでもあるのでしょうね…。
閉祭セレモニーが終わり、体育館の暗幕が全て
開かれ、換気が行われました。その時です…。
昨日の雨模様。そしてこの日も朝からずっと、
どんよりと覆っていた雲の隙間から、日差しが、
本当に強い日差しが差し込んできました。
不思議な思いに包まれました。
文化祭の終わりはいつも夕暮れです。
文化祭が終わるころは、いつもあたりは薄暗い、
それが当たり前だったからというのもありますが
それ以上に、「生」の世界への扉を開いた感じ、
演劇の影響でしょうか『希望の光』に思えました。
文化祭という学校生活の中では「非日常」の活動は、
子供たちの様々な力を花開かせる大きなチャンスです。
「挑戦」の場であり「確認」の場でもあるからです。
「日常」では試せないことでも、「非日常」の中でなら
試すことができる。しかし、挑戦を裏付けるのは、まさに
ありふれた「日常」の中で積み上げてきた「今の自分」
にほかなりません。そして、「挑戦」が生み出した力が、
これからの「日常」の積み重ねの中で本物になっていく。
学校が成長できる場所であり続ける理由です。
学校って素敵なところだと心から思います。
生徒が帰ったあとの、昼下がりの校舎です。
太陽は、体育祭の頃よりも南に早く沈みます。
何かを終えた後、校舎の高い所に登り、遠くを
眺めることが、なんとなく好きになりました。
南には階上岳がゆったりと横になっていて、
月は東の空にぽっかりと浮かんでいます。
文化祭を終えた子供たちは、今頃何を思い、
そして、どんな思いで眠りにつくのだろう。
そんなことを思います。
今日の出来事や、今日にいたるまでの日々を
そっと、心の奥の思い出にしまいこむように、
静かに夜が更けていきます。
最終日は3学年のステージがメインになります。
初めに演劇を、次に学年合唱を披露します。
生徒会活動や部活動、学校行事をリードしてきた
3年生の集大成の場が、今日でした。
演劇『グッド・バイ・マイ…』
3年生の渾身の演劇のステージの幕が開きました。
我々オジサン世代にとっては、「グッバイマイ…」
ときたら、頭の中にはアン・ルイスの歌が流れます。
あれはあれで切ない歌ではあるのですが、こちらは、
かなり重いテーマです。「命」「運命」「選択」…。
生まれる前の世界が舞台となっているのですが、
すっかり、劇中の世界観の中に引き込まれました。
演出がとてもよかったですね。セリフがアレンジされ、
2021年10月17日、八戸市小中野に設定されています。
単純劇ではなく、ちょっとミュージカル風に演出され、
ラインダンサーズが、要所要所でラインダンス風に、
ときには、ストリート風に場面や内容に合わせて
場を和ませてくれたり、リアリティーを煽ったり、
白の使者と黒の使者がいるように、夏服と冬服で、
さりげなく世界観を創出したり、あえて私服だったり、
工夫を凝らしたダンスで、ストーリーを盛り上げます。
アイデアの多くは生徒だったそうです。すごい…。
そして、これがその舞台の様子です。
感動的でした。クォリティーの高さだけでなく、
主要なキャストの演技力はもちろん。脇の役の人も、
ダンサーズたちも、ナレーター、音響効果音、照明、
舞台道具、背景、衣装……、3年生全員が関わって、
みんなで作り上げた、みんなの思いがこもった演劇
だったからこそ感動は倍にもなったのだと思います。
本当に素晴らしかった…。
3学年合唱
演劇の勢いと余韻を残しての3年生の学年合唱です。
気持ちが入らないわけありませんね。これは歌う側、
ばかりではなく、聴くこちら側にとってもそうです。
なんというのでしょう。子供たちの思いがひとつに
まとまっている感が強くて、合唱コンクールで聞く
歌とはまた、まったく次元の違った空気感があって、
文化祭をやり遂げた充実感と、3年間の思いが凝縮
されて、最高学年として後輩たちへ形のないものを
残そうとする責任感や使命感のようなものを、強く
感じます。だから、かっこよかった…。
1曲目は「そよぐ風の中で」
2曲目は「あなたへ」
「愛と涙 あなたの手の温もり 人生という
迷路の果て 信じあえることの喜びと
悲しみを知った分 強くなれる … 」
体育館にこだまする歌声が、言葉が胸を打ちます。
青春の意味を 生きることの意味を、子供たちは、
歌の中にある通り、きっと、
この文化祭で、精一杯に人生を歩き続ける中で…、
「そして 知るでしょう…」
閉祭セレモニー
文化祭メイキングムービーが流れます。
文化祭週間の歩みを振り返りながら、
あらためて、この文化祭は全員の力で作り上げて
来たのだという思いを強くします。
自分の知らないところで頑張っている仲間がいた。
その思いが、チーム小中野をより強い集団へと、
成長させてくれます。一人一人の心の根っこを、
耕してくれます。肥料や空気や水、光となって。
みんなの視線がスクリーンに釘付けになっています。
メイキングムービーの後半の、係ごとの集合写真に、
胸を打たれました。そしてテーマソングが流れます。
スクリーンには、スライドと共に歌詞が映し出され、
全校生徒が一つになって、ドリカムの「何度でも」
を熱唱しました。でも歌う回数は「1回だけ」です。
さすがに、「何度でも」という訳にはいきません。
コロナ禍ですから…。
最後に、新生徒会役員から旧メンバーへ感謝が、
そして、旧生徒会役員から新メンバーへ引継が、
ステージ上でなされました。
「後期」メンバーへ「校旗」を手渡すという、
おやじチックなセレモニーに、ひとりニヤッと
させられました。取り外せるようになっていた
あの校旗の仕掛けの意味と、緑の手から赤の手
に貼り付け直された段取りの意味に気付いた時
なるほどと腑に落ち、わたしの「好奇」心も、
見事に満たされました。1年後は青の番だぞ!
というメッセージでもあるのでしょうね…。
閉祭セレモニーが終わり、体育館の暗幕が全て
開かれ、換気が行われました。その時です…。
昨日の雨模様。そしてこの日も朝からずっと、
どんよりと覆っていた雲の隙間から、日差しが、
本当に強い日差しが差し込んできました。
不思議な思いに包まれました。
文化祭の終わりはいつも夕暮れです。
文化祭が終わるころは、いつもあたりは薄暗い、
それが当たり前だったからというのもありますが
それ以上に、「生」の世界への扉を開いた感じ、
演劇の影響でしょうか『希望の光』に思えました。
文化祭という学校生活の中では「非日常」の活動は、
子供たちの様々な力を花開かせる大きなチャンスです。
「挑戦」の場であり「確認」の場でもあるからです。
「日常」では試せないことでも、「非日常」の中でなら
試すことができる。しかし、挑戦を裏付けるのは、まさに
ありふれた「日常」の中で積み上げてきた「今の自分」
にほかなりません。そして、「挑戦」が生み出した力が、
これからの「日常」の積み重ねの中で本物になっていく。
学校が成長できる場所であり続ける理由です。
学校って素敵なところだと心から思います。
生徒が帰ったあとの、昼下がりの校舎です。
太陽は、体育祭の頃よりも南に早く沈みます。
何かを終えた後、校舎の高い所に登り、遠くを
眺めることが、なんとなく好きになりました。
南には階上岳がゆったりと横になっていて、
月は東の空にぽっかりと浮かんでいます。
文化祭を終えた子供たちは、今頃何を思い、
そして、どんな思いで眠りにつくのだろう。
そんなことを思います。
今日の出来事や、今日にいたるまでの日々を
そっと、心の奥の思い出にしまいこむように、
静かに夜が更けていきます。
2021/10/17 14:30 |
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