学校だより第11号

1月26日(水),「学校だより」第11号を発行しました。

「学校だより」第11号からの抜粋です。



挨拶      校長 畑川 慶行

 3学期も順調に始まったように見受けられます。とにかく子供たちが元気に登校してくるのが何よりです。全ては,そこから始まります。
 子供たちに長い間くどくどと「挨拶」について話をしてきました。そういう私も,決して挨拶の達人ではありません。むしろいつもドギマギしています。かくも挨拶は難しいかなと思います。その挨拶のお話を少し…。
 挨拶には不思議な力があります。全く見知らぬ間柄にも,言葉の通じない相手にも,一言の挨拶は,その心を開かせる力を持っています。旅行に出かけた時など,旅先の方言での挨拶をちょっと覚え,それを交えたりすると,いかめしい顔をした人もにっこり顔をほころばせて,挨拶してくれます。旧知の間では,さわやかな一言の挨拶によって,昨日の感情のしこりが解けるだけでなく,こうした場合,先に挨拶したほうが勝ちで,挨拶された側は挨拶の遅れたことに後ろめたさを感じ,相手を自分よりも一回り大きな人物のように感じることは,どなたにも経験のあることと思います。
 このように不思議な力を持っている「挨拶」なのに,日本人はどうも挨拶がへたなようです。
 遊牧民族は,水や牧草を求めて家畜と共に移動し,幾日も幾日も人に会うことがありません。それだけに親しい友に会った時は,握手し,抱きつき,キッスして,出会いの喜びを全身で表現するのだそうです。こうした習慣を長年にわたって積み上げてきた西洋人であれば,挨拶が上手になるのは当然のことでしょう。
 これに比べ,朝から晩まで,昨日も今日も明後日も,顔を突き合わせている農耕社会に育ってきた日本人には,人に会うことの感激が湧きにくいそうです。感激がないので,挨拶の仕方も上達せず,その結果は大変損をしているそうです。
 一言の挨拶により,その人が,その家族が,その会社が,大きく言えばその国が,それなりの評価を受けるのですね。極端に言えば,「おはよう」「こんにちは」の一言で,相手の琴線に触れるのです。
 だいぶ前に,あるお店で買い物をしていた時,2度,挨拶をされました。品物を物色している時,背後を通り過ぎながら,こちらに神経を向けている気配を感じましたが意識を向けるまでには至りませんでした。その後すぐ,聞き覚えのある女性の声がしたので,ふっと顔をあげると,とあるお母さんと子供の笑顔でした。ちょっと驚き,ちょっと恥ずかしいという気持ちが交じり,思わず「あっ!どうも!」とペコリと頭を下げました。もう少し,「こんにちは。親子で買い物ですか,いいですね!」くらいのことが言えなかったものかと反省しきりでした。そして,別の場所に行くと,他の母親の方に会いまして,大変丁寧に,しかもニコニコと「こんにちは」と挨拶されました。今度は,突然でも2回目でしたので,「はい,こんにちは。どうも!」と,ゆったりと挨拶をお返しすることができました。
 私自身,心のこもった挨拶ができるよう,精進しなければならないなあと感じ入りました。




2011/01/27 15:10 | この記事のURL