島守小学校

新任式・始業式・入学式

昨日本校の令和3年度新任式・始業式・入学式が快晴の天気に恵まれ、行われました。

最初に新任式。この日所用で欠席された方以外の4人の先生方が紹介されました。
皆さん希望に燃えてやる気満々な様子でした。

本校児童会代表の挨拶は立派なものでした。新6年生としての最高のスタートと言えるでしょう。

始業式に移り、担任発表です。毎年毎年子ども達にとっても先生方にとっても緊張の一瞬です。

校長先生からは、もうおなじみの「あいうえお」について改めてお話しされました。
あ…挨拶、い…命、う…運動、え…笑顔、お…思いやり
今年も大切にしたいですね。

入学式での児童代表でも校長先生に負けじと島守小学校について「しまもり」になぞらえて新入生にお話ししてくれました。
し…自然がいっぱい、ま…まぶしい笑顔のお友達がたくさん、も…もりもり食べて遊びも勉強もがんばります、り…立派な返事や挨拶ができます。新入生もきっとこのような島小っ子になってくれることでしょう。

1年生代表挨拶も立派にできました。緊張する中よく頑張りました。

教科書を校長先生からもらいました。いっぱい勉強しましょうね。

黄色い帽子を島守駐在所のおまわりさんからもらいました。また、交通安全母の会からも防犯笛や記念品をもらいました。
交通安全に気をつけて学校に来ましょうね。もらった後は、元気な挨拶を張り切って言えました。

保護者と先生のお話の間、図書室で5・6年生のお兄さん、お姉さんと一緒に本をたくさん読みました。
明日からたくさんの本を読めますよ。

最後に明日からの集団登校に向けて、班長さんの紹介をしました。
頼りがいのある班長さんばかりです。安心してください。
2021/04/08 06:40 | この記事のURL学校行事

卒業式

今日は本校の卒業式がありました。
臨時休業中だった昨年度ほどではありませんが、今年度も時間短縮・規模縮小を図り、40分弱の通常より短い式となりました。

今年度の卒業生は4人。大変な1年間を最高学年として過ごした4人ですが、最後に最高に立派な姿を見せてくれました。

証書の受け渡しもキビキビした態度で、心根の真っ直ぐさを感じさせるものでした。

在校生も立派でした。特に1年生はきちんとした態度で40分弱を通すことができました。成長しましたね。

マスク越しの呼びかけでしたが、しっかりみんなの心に届きました。

これからの島小を背負う5年生は、朝の掃除、式での態度、呼びかけ、歌、終わってからのお仕事と大活躍でした。

参列していただいた多くの来賓の方々、ありがとうございました。

最後に、お家の方に感謝のお花を贈りました。母の目に涙です。

会場を颯爽と退場します。



さらば島守小学校。さようなら4人の卒業生。
島小卒業生の誇りを持って、今度は島中で力を発揮してください。
2021/03/19 11:00 | この記事のURL学校行事

10年目の3.11 校長講話

東日本大震災から10年が経ちました。
小学校では震災以降に生まれた子の方が多くなっています。
ここから先の子ども達には実体験はなく、伝承をいかにしていくかが大切になると言えます。

今回の臨時校長講話は、「奇跡の一本松」絵・文なかだえり の読み聞かせでした。

いつもは落ち着きのない子もこのときはしっかりと集中して聞いていました。
先日新聞には、今後90%以上の確率で起きると予想されている東日本大震災の震源域以北、つまり八戸沖を含む日本海溝北部で起きる地震による津波の想定は、八戸で26m以上と出ていました。島守は山にある地域ですが、八戸の海沿いにあるショッピングセンターに出かけることもあると思います。どこにいても生き抜く術をしっかり伝えていくことが大切なのだと思います。合掌


2021/03/11 09:10 | この記事のURL学校生活

75年前の戦争

島守は歴史にあふれるところです。
古くは縄文時代。しまもり中遺跡だらけと言っていいぐらいあります。
そして中世の水田跡、平安時代末期に活躍した平清盛の息子重盛の落人伝説、
島守(四戸)安芸が与した九戸の乱に連なる戦い…そしてそれは先の大戦についても…。
   *
2月26日(金)に6年生4人で南郷歴史民俗資料館に見学に行ってきました。

戦時中の戦争一色の生活を学芸員の中尻さんから具体的なホンモノの資料を見せて頂いて教えていただきました。


八戸の空襲で海防艦「稲木」の奮戦により市街地が空襲から免れたことも教えてくださいました。
なんとなく教科書を読んでいると「嫌々戦争したんだろうな」と想像していた子ども達に、
街やふるさと、家族を守るために文字通り必死に戦う当時の兵隊さん達の気持ちが少し伝わったようでした。

   *
最後は、「なんでもっと早く戦争を終わらせなかったんだろう?」という謎を解く鍵
「八戸要塞」について模型や写真、前の館長古里さんの書いた資料を基に教えて頂きました。
島守から八戸方面に行く道の一つに鷹巣展望台からの山道があります。
その山の斜面や新井田川沿いの道を狙える斜面に100基以上も厚いコンクリート製の「トーチカ」が作られました。
作成には県内の学生や地元島守の小学生もかりだされ、冬の寒い時期に半年近くも山に砂利などを運んだようです。
これは「捷三号の甲作戦」という、米軍上陸後の本土決戦用の作戦のために作られた物なのでした。
つまり、当時の政治を動かしていた人たちは沖縄戦のような陸戦をここ島守でやろうとしていたのです。
降伏するどころか、「一億総玉砕」という言葉が叫ばれていたことも中尻さんに教えていただきました。
   *
もう少し降伏が遅かったら…もしかしたら島守が戦火の舞台になっていたかもしれないということを想像して周囲の風景を眺めながら歩いて学校に帰ってきました。


2021/02/26 14:30 | この記事のURL学校生活
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